久地

Kuji


「久地梅林停留場」として開業し、国有化の折りに現駅名となりました。
久地梅林という名の通り、かつては梅の名所で賑わっていましたが、
首都圏近郊の宅地化により相次いで伐採され、今ではわずかにしか残りません。
農業で栄えた地域で、府中街道沿いに注ぐ二ヶ領用水は、農民の命として、
また、身近な河川として長年親しまれてきました。
駅の南東には、「久地円筒分水」という丸い形の堰があります。
水の利権を巡って幾度なく起こった農民同士の争いを鎮静化するために造られ、
当時としては非常に画期的な技術が盛り込まれました。
国の登録有形文化財に指定されており、久地の貴重な歴史の語り部です。

両ホームの溝口寄りに、国鉄タイプの駅名標が残っています。
首都圏ではあまり見られない代物で、民営化から20年以上経った今でも現役です。宅地化が進み、
利便性が向上し続ける南武線ですが、こういうアクセントのお陰で、殺伐な喧騒を忘れられるよい
ムードが保たれているのでしょう。LED普及の際にもこの駅名標は残留しました。


撮影:2012/9 消滅した駅名標は2012/4


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