西米沢

-Nishi Yonezawa-


米沢市街地の西端にある駅です。当駅手前から線路は米沢の市街地を囲むように周ります。
市街地の端に線路が敷設されているのは、城下町によく見られる光景です(会津若松など)。
市街地といっても辺りは閑静な住宅地で、商店はあまり見られません。
駅前の通りを少し進むと大通りに出られ、賑やかになります。
駅舎は木造で、木々に囲まれた風情ある建造物です。事務室に囲碁クラブが入居しています。

以前は国鉄ライクが2つありましたが、南米沢寄りの駅名標が新タイプに交換されました。
国鉄ライクの住所にある「直江町」とは、かの天地人で知られる直江兼続のことです。
米沢は直江ゆかりの町であり、彼の名を冠した地区ということでしょう。

さて、一番気になったのが、駅舎に付いている駅名標。
国鉄時代からのもので風情がありますが、それだけではありません。
隣駅名に「ちゅうぐん(なるしま)」と記されているのがわかります。
西米沢の手前は成島であり、中郡ではありません。まして、現在のダイヤで
成島をパスする便もありません。しかし、何故かこの駅名標には、
本来の次隣の成島が括弧に括られ、2つ先の中郡が隣のような書き方でした。
さらに調べてみると、スタンドの方にはそのような記述はありませんでした。
新タイプはおろか、民営化してから設置されたものにも隣駅名は「なるしま」となっています。
どうも民営化の頃までこのような扱いがされていたようです。
成島駅は1961年に開業した比較的新しい駅で、造りも停留所の簡素なものです。

ということは、かつては成島をパスした便があったのではないでしょうか。
そして、成島は駅と言うより、「仮乗降場」として扱われていたのかもしれません。
入広瀬のページで扱いましたが、国鉄時代、駅名標に仮乗降場の名前は記載されないのが慣例で、
記されているのは稀、よくても括弧書きにする程度でした。まさに、この駅名標がそうでしょう。
主に北海道で見られましたが、民営化後に仮乗降場はほとんどが駅に昇格しました。
喜多方―会津若松にも停留所扱いの通過数の多い駅が4つあり、塩川にやはり括弧書きのある
駅名標が見られました(現在は撤去されており、新デザインには反映されていません)。
そう疑問を抱いているうちに、1993年11月号のJTB時刻表を閲覧する機会があり、
これはチャンスだと米坂線の時刻表をチェックしました。すると、思ったと通り成島を通過する便を
数本みられました。1日に上下線ともに11本の普通が確保されていたものの、2本ずつが成島通過の便でした。

米坂線の歴史を知れたであろう駅名標でした。古くから駅を見守っているだけでなく、ミステリーを
与えているのだから鉄道ファンにはたまりません。米坂線の歴史を伝える語り部ですね。
交換されずに残っているのは何よりです。これからも駅舎と共に大切にされてもらいたいですね。
長くなりましたが、最後に。駅に訪れたら駅名標をよく観察してみてください。
Wikiや文献では参照できない、何かが見えてくるかも・・・・・・。


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